前回、この文章を書いたところ、親愛なる友達でこのZINEの主催者のゆーろから一本の返信が来た。
「まあでも一つくらいこんな文章があってもいいんではないかとも思っている。人間とは何かって問いから逃げて、ただひたすら自分の言い訳をしているような文章があったとしても。」(「あなたの箸休めになりたい」より)
「ここ(引用部)について詳しく聞きたい!ここにこそ、人間とはって問いへの答えが詰まっていると思う!」とのこと。 たしかに。さすがゆーろだ。
今日は少しこのことについて考えてみようと思う。 軽く説明すると、現在大学院生でAIガバナンスを学んでいる友人の上野裕太郎くん、通称ゆーろから人間とは?ってテーマでZINEを作るのでぜひ文章を寄稿して欲しいと言われたのだが、一向にその文章が出来上がらずに挙げ句の果てに書いたのが最初の引用文だった。
初めは人間とは?ってテーマでカチッとスパっと爽快で明快な文章を書こうと思っていたのだが、なし崩し的にいつものエッセイ調でなんとも柔らかいプリンのような文章が出来上がった。
それはそれでいいのだが、自分としては自信がなく、その言い訳がこういう文章が一つくらいあればゆーろのZINEの箸休めになるんじゃない?という結論だった(様々な立場の人が同じテーマについて論じ合うタイプのZINEらしいので)。
そして、そういう少し変な文章があってもいいと開き直った。 それを、ゆーろはそんな人間が社会に存在してもいいのでは?という投げかけと解釈してくれたのだ。優しい男だ。
ではなぜそう思うのか。
それはまごうことなく自分が社会のレールから外れているからだろう。 天下の早稲田政経(ボケですよ)を卒業するも、バイト暮らし。しかも週3日の労働もままならず昼夜逆転生活。貯金なんてできるはずもなく、お先真っ暗。そこで行き着いたのが、週1バイト週7note、YouTube、Instagram投稿生活だった。
注:ebinaは毎日noteに日記ともエッセイともとれる約1000字の文章を2本投稿し、イラストを最低1枚iPadで描きInstagramに投稿し、YouTubeで好き勝手に10分程度喋るvlogを投稿することを目標とし、継続している。noteは3ヶ月くらい書いている。
そんな人は周りにいない。 周りの人は、7時(いやもっと早いのか、働いたことないのでよく知らない)に起き、会社に行き、仕事をしている。はずだ。
当の自分は昨日夜更かしをしてしまったので、10時半に起きて、note書いたあとに、今日の夕食に使う牛丼の肉を買いにがてら、ランニングしていた。
まあこんなもんなので、逃げる言い訳はたくさん用意している。人生自体が逃げなのだ。 しかし、これだけは強く言っておく。 心の底では逃げだとは思っていない。
むしろ人生の問題について真っ向から考え、それを発信している点で真っ当であると感じている。 しかし、ある側面から見ると多少裕福な実家でぬくぬくと好きなことをやっているように見えるのでそう言っているし、伝わりやすいので人にもそう話すことが多い。 あとはへりくだると応援してくれる人がいるので、狡賢くもスタンスを利用している。
こんな状態なので、こんな文章が書ける。いくらでも書ける。毎日暇なので、存分に書き、それを創作に繋げられる。 まだ金は稼げていない。
どうかなゆーろ? まあ続きは日暮里の喫茶店で話そうじゃないか。