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奈良のイオンとニュージャージー

今年の冬は穏やかだった

ニュージャージーに、少しずつ春が訪れている。

空気はまだ冷たいけれど、日差しの強さが少し変わってきた。 夕方五時になっても、外はまだ明るい。 冬が終わりに近づいているのがわかる。

振り返ると、今年の冬は穏やかだった。 アメリカ東海岸では、数年ぶりの大寒波が記録された。iPhoneの天気アプリには、体感温度マイナス二十五度という数字が表示されていた。ニュースでも、ここ数年で一番寒い冬だと言われていた。

最初に雪が高く積もった日は少しうきうきした。窓の外が一晩で真っ白になっているのを見ると、やはり少し特別な気分になる。二回目以降は、また除雪材で車が汚れるなあ、という心配のほうが強かった。道路にまかれる塩で車はすぐ白くなってしまうし、洗車をしてもまたすぐ同じことになる。

そんな冬のあいだに、私は体調を崩した。 数日間、寝室とリビングのあいだをゾンビのように行き来しつつ、ただ時間が過ぎるのを待っていた。体調が戻ったあとも、空咳だけが三週間ほど残った。明日には治るだろうと思いながら過ごしていたら、そのまま三週間が経っていた。今になって思うと、あれはインフルエンザだったのかもしれない。

咳も完全に止まったころ、上野くんから今回のzine寄稿へのお誘いがあった。 私がもしニューヨークに住んでいたら、 「アメリカで暮らすということ」 みたいな大それた文章を書けたかもしれない。本当にいろいろな人がいて、いろいろなことが起きている街だ。毎日めちゃくちゃなニュースが流れるなかで、それでもみんなそれぞれの生活を必死に生きている。

ただ、わたしの暮らしはニュージャージーにある。 ハドソン川を渡っただけなのに、街の空気は少し落ち着く。 そこで三回目の冬を過ごすあいだ、自分でも思っていたより穏やかな気持ちで過ごせていたことに気づいた。去年までは、寒くて日が短い冬があまり好きではなく、普段は比較的元気に過ごしていてもたまに気分がどんよりすることがあった。今年も、また冬が来てしまうと少し身構えていた。そのくせ、特に冬を元気に快適に過ごすハッピープランを考えて準備したわけでもなかった。にもかかわらず、今年の冬は穏やかだった。これは喜ばしいことであり、去年からなにかきっかけとなる出来事があったわけでもない。 だからこそ、今の生活をこの機会にぼんやり書き留めておこうと思う。

今住んでいる家は、日本にいたときよりもずいぶん広い。 特にキッチンが広く、料理をする時間が増えた。最初のころは、スーパーに行くたびにわくわくして違うものを買っていた。最近はもう、買うものがある程度決まっていて、スーパーで迷う時間も減っている。最初は珍しさであれこれ試していたのに、今では同じ通路を同じ順番で回って、だいたい同じものを買っている。

野菜はTrader Joe’sで買い、薄切りの肉はアジア系スーパーで探す。 少し良いものを買いたいときはWhole Foodsに行く。 お気に入りのお菓子はTargetで買える。

車で数分の距離にそのすべての店があり、それぞれの場所にお気に入りがある。歩いて行くには遠いけれど、車を使えばすぐに着くので何の不自由も感じない。生活の細かい部分が、少しずつルーティンになってきている。

そのおかげで、旅行や出張からニュージャージーに戻ってくると安心する。 実家に帰ったときに奈良のイオンに行くときのような、安心感がある。

去年までは、ニューヨークにもよく行っていた。 ほぼ毎週のようにバスに乗り、世界の中心とも言われるマンハッタンに遊びに行っていた。

家の目の前にあるバス停から約三十分ほどでポートオーソリティ・ターミナルにつく。 どこからともなく異臭のする、少しさびれた場所で、新宿バスタに似ているけれど、もう少し雑然としている。そこから少し歩けばタイムズスクエアだ。 距離だけ見れば、私の住んでいるところからそれほど遠くない。

タイムズスクエアに初めて行ったとき、すぐに独特の匂いに気づいた。 これがマリファナの匂いなのか、と誰にも教えられていなかったけれど、なんとなく分かった。 大通りにあるディズニーストアの二階でもその匂いがしていて、とても嫌な気持ちになったのを覚えている。

それでもニューヨークには、やはり魅力がある。 ブロードウェイを見に行ったり、美術館の年パスを買って何度も訪れたり、セントラルパークで友達と散歩したり、素敵な思い出がたくさん詰まっている。 クリスマスシーズンのイルミネーションも最高に美しい。

あと、ニューヨークの映画館では、英語の字幕(Open Caption)がついている上映がある。ニュージャージーの映画館だと、あってもClosed Captionくらいなので、わざわざニューヨークまで行く価値がある。

観光地巡りは一通り終わり、最近は、そこまで頻繁には行かなくなった。 友人が来たときに一緒に訪れる場所になった。 今では月に一度、友人とご飯を食べに行く程度で、まだまだ観光客気分を味わっている。 いつも川を渡ってニュージャージーに戻ると、やはりなんだか安心感がある。

ニュージャージーに来たばかりのころは、すべてが少し「仮」のように感じられていた。 数年間はこの生活が続くことを理解しつつ、とりあえず目の前の仕事を楽しもうと思ってやってきた。

初めての海外生活。 東京から飛行機で十四時間。 東京から地元の奈良まで帰省するのに、おおよそ四時間。

数字だけを見ると、ずいぶん遠い場所に来たように思える。 地球を離れて月に出たわけでもないし、ものすごく頑張れば一日で日本に帰ることもできる。

引っ越しの日、十四時間のフライトのあともしばらくその実感がわかなかった。 どこか出張で来ているような気分のまま、生活が始まってしまった感じだった。

最初のころはとにかくどこか落ち着かなかった。 もちろんわくわくする気持ちもありつつ、毎日少しだけ疲労が溜まっていたと思う。

生活の細かいことが、すべて少しずつ違う。 買い物の仕方も、仕事の進め方も、人との距離感も、日本にいたころとは少し違っている。 どれも特別に大きな問題ではないのだけれど、小さな違いが積み重なっていくと、どこか気持ちが落ち着かなくなる。

それでも、時間が経つにつれて、少しずつ慣れていった。 最初は戸惑っていたことも、いつの間にか当たり前になっていく。 生活のリズムができて、仕事のペースもつかめてくる。 友人とご飯に行ったり遊びに行ったりする時間も、どんどん増えていった。 その一方で、アメリカに来たのだから、と張り切って旅行にもよく出かけるようになった。 日々が少しずつ自分のものになっていく。

そういったことの積み重ねがあって、この冬、私は穏やかな気持ちで生活できているのだと思う。

そして、その穏やかな生活のなかで、 ニュースを開けば、新聞を読めば、胸が落ち着かなくなる話題がたくさん流れてくる。 学生時代に国際法を学んでいたこともあって、SNSのタイムラインには、友人たちが引用する国際情勢のニュースもよく流れてくる。

ただ、穏やかな日々を過ごしているからこそ、落ち着いて情報を追うことができる。 もし二年前の自分だったら、少し違っていたかもしれない。 気分がどんよりする日は、嫌なニュースを見ること自体を避けていたと思う。 インターネットから距離を置いて、仕事や生活のことだけを考えようとしていたかもしれない。

そう考えると、穏やかな日々というのは、ただ気持ちが楽になるというだけではないのだと思う。 それは、世界の出来事に向き合うための余白を、自分の中に生み出してくれるものでもあるのかもしれない。 日々自分が興味を持つすべての問題に、すぐ答えが出るわけではない。 遠くで起きている出来事を、どう受け止めればいいのか分からないことも多い。 それでも、ニュースを読みながら少し立ち止まって考えることができる。 感情に飲み込まれすぎることなく、かといって無関心になるわけでもなく、自分なりの距離で向き合うことができる。

それはきっと、日々の生活が自分の中である程度整ってきたからなのだと思う。 毎日の食事や、仕事や、人と会う時間。 そういうものが、気づかないうちに、自分の内側を支えてくれている。

穏やかさというのは、ただ何も起きないことではなくて、 むしろ自分の足場がきちんとある状態で初めて生まれるのだろう。

だからこそ、世界の出来事に対しても、少し立ち止まって考える余白を持てる。 その時間を持てていること自体が、いま私が穏やかな生活を過ごしている証なのだと思う。

こうしてこの生活を書き留めるきっかけをくれた上野くんに感謝したい。

三月に入っても、今日もまた雪が降っている。 ニュージャージーにも、もうすぐ春が来る。

やまねこ