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遠くの抑圧に声を上げるということ

 僕は大学、大学院の6年間、社会運動について考えてきた。

 学部の卒業論文では、ニクラス・ルーマンの社会システム理論における社会運動(抗議運動)の概念について、理論的な検討を行なった。修士論文では社会運動そのものについて、結局のところ扱うことはなかったけど、1年間参与観察はしていたし、修論の裏テーマにはエスタブリッシュメントのための社会運動(の実践)があった。少なくともそういう意識で書いていた。

 それでも、僕にとって社会運動とは、どこか肩に力が入った、やるぞ!と気合を入れてやるようなものというイメージがあった。ハマスによるイスラエルへのテロ攻撃に対する報復として、イスラエル軍によるガザでの虐殺が起きてから、東京で行われた抗議デモに何度か参加した。バッチを付けたり、スカーフを巻いたり、デモに参加していた人の多くは「デモに参加するために」その場所に集まっていた。そして終われば、また「日常」に戻っていく。ある意味でデモとは非・日常という感覚が僕にはあった。

 そんな、社会運動に対する意識を根底から覆されたのが、サン・セバスティアンへの旅でのことだった。サン・セバスティアンは、スペイン・バスク州ギプスコア県の県都だ。そして、僕が大好きなサッカークラブ、レアル・ソシエダの本拠地でもある。

 僕が街で目撃したのは、無数のパレスチナ国旗と、イスラエルに対する抗議を意味するバスク語の落書きだった。  アパートのベランダや、部屋の通りに面した窓に国旗が掲げられていた。学校の建物の壁や、公園のベンチ、家のドアなど、様々なところでバスク語で書かれたメッセージを目にした。それらは消されることもなければ、消そうと試みられた形跡もなかった。  そうした抗議、連帯がサン・セバスティアンの日常に当たり前に存在しているのである。それはなんの珍しさも、違和感もなく、ただそこに存在しているのである。

 それらは全て、サン・セバスティアンで見た風景だ。パリ経由でサン・セバスティアン入りしたので、2つの都市が見せるギャップに驚かされた。  では、東京はどうだろうか。パリとサン・セバスティアンのどちらに近いかと言えば、確実にパリだろう。東京という街は、その全体が脱政治化され、政治的なものの一切が排除されていると言えるだろう。だからこそ、「社会運動する」という行為により肩が入ったり、エネルギーを要するのかもしれない。  僕はロシアによるウクライナへの侵攻、イスラエルによるガザでの虐殺や占領、ミャンマー国軍による弾圧、そして執筆時点で明らかになっている範囲で、イスラエルと米国によるイランへの攻撃、そしてイランで行われていた人権弾圧の一切に反対の立場を取る。直近5〜6年だけでもあまりにも多くの人権侵害、人道に対する罪を目撃し続けている異常な状態にある。  これもまた、我々人間が抱える大きな問題の1つであり、そしてそれに抗議の意思を表明し続けることが重要なのだと思う。重要であると言い続けて、できる範囲で、続けられる範囲で意思表示し続けることが何よりも大切なのだと信じている。  サン・セバスティアンで見た風景は、まさにその1つの例だ。人々の生活の中に抗議や連帯が溶け込み、パレスチナへの連帯を示すことが日常と化している。

 サン・セバスティアンという地域の歴史もここまで日常化した抗議の側面にあるだろうことは言及しておくべきだろう。スペインも依然として、一部の州が独立を求めている。カタルーニャもその1つだ。そうした人々のガザへの眼差しは、日本人の僕のそれとは大きく異なっているのかもしれない。

 僕は自分でできることをやろうと思う。このように、意見表明が可能な場では積極的に加害-被害関係を明確に述べたり、籍を置くメディアでも取り上げるよう提案したりしている。持ち札の効力を最大化することが僕のモットーだ。

 遠くで起きる抑圧に声を上げることは、身の回りにある不平等や不正義に気づくことだと思う。ミーハーでも、偽善でもいいから、僕は僕の持ち札で、あなたはあなたの持ち札で声をあげてみて欲しい。

上野裕太郎